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朝ドラ「エール」のモデル古関裕而の留学話は本当?息子から見る古関裕而とは

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朝ドラ「エール」のモデル古関裕而の留学話は本当?息子から見る古関裕而とは

2020年前期朝ドラ「エール」のモデルとなる古関裕而(こせき ゆうじ)について紹介していきたいと思います。

ドラマでは古山裕一という名で窪田正孝さんが演じられています。

物語の中で、イギリス留学の話が出てくるのですが、こういった物語は史実に基づく実話なのでしょうか。

エールの大本となる、作曲家古関裕而さんについて紐解いていきたいと思います。

古関裕而の留学について

朝ドラ「エール」では、国際作曲コンクールに裕一が作曲した『竹取物語』で応募し、史上最年少で2等を受賞したことから、イギリス留学の話が出ました。

留学費も支払われるというものです。

これは実際にあった事なのか調べてみると・・・正直、解りませんでした。

しかし、恐らく留学の話はこの時点ではなかったのではないか・・・と思います。

後に、古関裕而はコロンビアとの契約後、勉強のために洋行を希望するのですが、これは断られています。

実際に古関裕而は『竹取物語』を作曲しています。

『竹取物語』の実話

1929年(昭和4年)、管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、入賞を果たします。

ほとんど知られていないようですが、これは日本人初の国際的作曲コンクールにおける入賞であり、当時の新聞でも大々的に報道されているそうです。

『竹取物語』は、色彩的で斬新なオーケストレーションがなされており、また、打楽器のみで演奏される楽章なども含まれていたといわれています。

この入賞の報道を読んだ声楽家志望の愛知県豊橋市在住の内山金子(関内音)が古関裕而にファンレターを送り、熱烈な文通を経て1930年、古関裕而20歳、内山金子18歳でスピード結婚をします。

これは朝ドラでも同じでしたね。

朝ドラ「エール」ではこの結婚に至るまでの間に、留学の話と、養子問題が挟み込まれています。

そして同年9月、コロムビア(コロンブスレコード)の顧問山田耕筰(小山田耕三)の推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京しました。

ここは朝ドラ「エール」もそのような感じでしたね。

コロムビア(コロンブスレコード)と契約する最初の切っ掛けは、関内音(二階堂ふみ)の姉の関内吟(松井玲奈)のお見合い相手の叔父で、紹介してもらった・・・という感じでした。

古関裕而の息子・古関正裕さんから見た父

朝ドラ「エール」のモデル古関裕而の留学話は本当?息子から見る古関裕而とは

古関裕而さんは作曲の仕事は、いつも家の書斎で行っていたそうです。

長男の古関正裕さんにとって父の印象は

「優しくて穏やかな人」

なのだそうです。

ただし「声や物音は平気だが、調子外れの楽器の音には我慢できなかった」とのことです。

やはり音感に優れていたからこそ、我慢できなかったんでしょうね。

「小学生のとき、コップに水を入れて音階を作り、たたいて遊んでいた。すると、父が2階から下りてきて『うるさい』とものすごく怒られた。父に怒られた記憶は、その一度きりしかない」

とのことです。

もしかしたらこれも、音階がちょっとズレていたのかもしれないですね。

コロムビアと契約後の古関裕而

朝ドラ「エール」のモデル古関裕而の留学話は本当?息子から見る古関裕而とは

コロムビアの顧問山田耕筰の推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京し、東京では菅原明朗に師事しました。

菅原は『竹取物語』のスコアを読んで驚き、古関には深井史郎よりも才能があったと、後年まで称賛しています。

師と仰いだ菅原明朗のほかに、橋本國彦とも親交が厚かった。

しかし、古関裕而は、実家が経済的に破綻してからは一族を養わなくてはならず、次第にクラシックの作曲から離れざるをえなくなってしまった。

コロムビア入社も主に生活費のためであったと考えられているそうです。

古関裕而本人は作曲の勉強のための洋行を希望していたが、それは叶わなかったのだとか・・・。

東京に移ってからのオーケストラ作品に、関東大震災を描いた交響詩『大地の反逆』があります。

これはストラヴィンスキー的な音楽であるといわれています。

また、無調的な歌曲『海を呼ぶ』なども作曲しています。

1935年(昭和10年)、古関が26歳の頃、新民謡調の「船頭可愛や」(詩:高橋掬太郎、唄:音丸)が大ヒットし、人気作曲家の仲間入りを果たします。

この歌は世界の舞台でも活躍した三浦環(双浦環)も歌い、レコードに吹き込みました。

この頃、声楽家志望だった妻の金子は帝国音楽学校へ進んでいます。

また同時期に同郷の伊藤久男(佐藤久志)と交流を持ち、伊藤久男も帝国音楽学校へ入学することになったそうです。

朝ドラ「エール」で佐藤久志(山崎育三郎)と音を介して再会しましたが、史実ではちょっと違ったようですね。

古関裕而『オリンピックマーチ』までの足取り

朝ドラ「エール」のモデル古関裕而の留学話は本当?息子から見る古関裕而とは

古関裕而は戦時中は戦時歌謡で数々の名作を残しています。

古関裕而のメロディーのベースであったクラシックと融合した作品は、哀愁をおびたせつない旋律のもの(「愛国の花」、「暁に祈る」など)が多かったようです。

それが戦争で傷ついた大衆の心の奥底に響き、支持されました。

戦時歌謡を作るかたわら、ヴァイオリン協奏曲のスケッチを重ねていたそうですが、完成に至らぬうちに譜面が散逸したといわれています。

古関裕而自身、前線の悲惨な体験や目撃が「暁に祈る」や「露営の歌」に結びついたと証言しています。

また自らの作品で戦地に送られ、戦死した人への自責の念を持ち続けていたそうです。

戦後は、暗く不安な日本を音楽によって明るくするための活動に力を注ぎました。

長崎だけにとどまらず、日本全体に向けた壮大な鎮魂歌「長崎の鐘」。

戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌「とんがり帽子」。

戦後日本の発展の象徴でもある1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた「オリンピック・マーチ」。

現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」。

その他にも「フランチェスカの鐘」、「君の名は」、「高原列車は行く」などの格調高い曲を数多く創作した。

また、クラシックの香り溢れる流行歌や、勇壮で清潔感のあるスポーツ音楽が大衆の心をとらえました。

テノールの美しい音色と格調のあるリートのベルカントで歌唱する藤山一郎、叙情溢れるリリックなバリトンで熱唱する伊藤久男などの歌手にも恵まれました。

劇作家の菊田一夫と名コンビを組み、数々のラジオドラマ、テレビドラマ、映画、演劇、ミュージカルのヒット作品を世に送り出しました。

1961年に菊田と手がけた森光子主演の『放浪記』は長期公演舞台となった。

また、戦後の古関裕而は、クラシック音楽の作曲を完全に諦めていたわけではなく、菊田と共同したミュージカル『敦煌』から交響組曲『敦煌』を編んでいます。

また、NHKテレビラジオを通じて各音楽番組に出演。

ラジオドラマ『君の名は』では放送中に、スタジオにオルガンを持ち込み、生演奏をして劇中伴奏を務め、他の番組でも時折生演奏で数多く出演しました。

一方で、同じように流行歌の作曲家としても活躍した江口夜詩とともに、「近世の日本のマーチ作曲者の代表的存在」として研究対象とされることが近年増えてきています。

コロムビアの福島三羽烏

また、今回の朝ドラ「エール」の見所の一つでもあるのが、ドラマ内で幼い頃に知り合い、大人になってそれぞれが目指す目標に向かい、成長した三人が織りなす福島三羽烏です。

・古山裕一(窪田正孝)
・村野鉄男(中村蒼)
・佐藤久志(山崎育三郎)

この三人が織りなす福島三羽烏です。

これは、ラジオ福島・福島民報社が制定した新民謡で、作曲に古関裕而、作詞は野村俊夫、歌唱を伊藤久男と、コロムビアの福島三羽烏に、当時人気のあった神楽坂はん子氏が加わり、盆踊り用のレコードとして発売しました。

同時に日本コロムビア文藝部によって、音頭の振り付けもおこなわれました。

新型コロナウイルスの影響で、朝ドラ「エール」の放送回数が少なくなってしまうかもしれませんが、この福島三羽烏は見たいですね!

朝ドラ「エール」はコミカルで親しみやすい!

前期の朝ドラ「スカーレット」が、終盤は病気の話で、重たい内容でした。

それでも、視聴者は感情移入し、役者さんの演技もよく、非常に素晴らしい作品でした。

その反動もあってか?今回の朝ドラ「エール」はコミカル要素が強く、しかし古山裕一の目指す音楽への芯があり、視聴率的にも安定して20%台を獲得しています。

これからも見どころも多い朝ドラ「エール」を楽しんでいきましょう!


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