-PR-
朝ドラ「エール」第19週のあらすじ・ネタバレを紹介していきたいと思います。
「エール」の第18週では、裕一(窪田正孝)は、慰問でビルマ(現ミャンマー)を訪れる。
そこは“インパール作戦”が展開される激戦地だった。
一方、福島では母・まさ(菊池桃子)が倒れ、弟の浩二(佐久本 宝)から知らせを受けた音(二階堂ふみ)が駆けつけていた。
その頃、恩師の藤堂先生(森山直太朗)が前線の駐屯地にいることを知った裕一は、危険を冒し会いにいく。
兵士たちと演奏会を開き、音楽で気持ちが一つになった翌朝。
部隊を悲劇が襲い・・・という展開でした!
そして、吉岡秀隆さんなども登場します!
ここから朝ドラ「エール」はどのように向かっていくのか・・・。
それでは、朝ドラ「エール」の第19週について紹介していきたいと思います!
気になるネタバレ項目をクリックしてください
朝ドラ「エール」第19週「鐘よ響け」のあらすじ
終戦後、裕一(窪田正孝)は曲を書かなくなっていた。
しかし劇作家・池田二郎(北村有起哉)との出会いでラジオドラマ「鐘の鳴る丘」、そして「長崎の鐘」の作曲をすることに。
裕一は歌詞の元になった本の著者・永田 武(吉岡秀隆)に会いに長崎へ。
原爆投下で自らも被爆しながら医師として人々の救護に当たった永田は、裕一に・・・。
一方、吟(松井玲奈)の夫で元軍人の智彦(奥野瑛太)は職探しをしている中、戦災孤児の少年と出会って・・・。
朝ドラ「エール」第19週「鐘よ響け」のネタバレ
終戦から三ヶ月がたったある日、劇作家の池田二郎(北村有起哉)が古山家を訪れた。
NHKで放送されることになったラジオドラマの音楽を、裕一(窪田正孝)に担当してほしいというのだ。
その話を聞いて華(根本真陽)は喜ぶが、裕一は音楽はもういいと言って背を向ける。
「・・・今のお父さん見たら、弘哉くん、どう思うかな?きっと悲しむよ。お父さんの曲聞きたいって、思ってるよ。」
華の言葉は、裕一の心が動く。
しかし、五線紙に目を落としたとたんに戦場の悲惨な光景がよみがえり、思わず五線紙を払いのけるのだった。
音(二階堂ふみ)は、一進一退を繰り返す岩城(吉原光夫)を見舞っていた。
そこへ、野球のグローブを手にした五郎(岡部大)と梅(森七菜)が駆けこんできた。
馬具に見切りをつけた光子(薬師丸ひろ子)に頼まれて、2人は革を使った新しい仕事を探していた。
その答えが野球のグローブだ。
光子が、眠る岩城に語りかける。
「岩城さん、聞こえる?五郎ちゃんが新しい商売を考えついてくれました」
岩城の表情がかすかに柔らかくなる。
その数日後、岩城は永遠の眠りについた。
一方、吟(松井玲奈)の家では、復員した智彦(奥野瑛太)が就職先を探していたが、いまだに決まらずにいた。
軍人としてのプライドが障害になっていると心配する吟に、音も、裕一が止まったままで、自分もどうすればいいか分からないと悩みを打ち明ける。
「音には、音楽があるじゃん」
また歌を始めて、裕一に音楽の楽しさを思い出させればいいと吟に励まされ、音はさっそく、歌を習うことにした。
先生は、「バンブー」の常連客のベルマトーマス羽生だ。
レッスン初日、羽生の友人だという人物が現れた。
それは、占い師に転身した御手洗清太郎(古川雄大)だった。
それから一年半が過ぎた。
裕一は相変わらず曲が書けない。
その頃NHKでは、職員の重森正が、池田が以前から温めていたラジオドラマの放送が決まったことを、池田に伝えていた。
「歴史に残る作品にしましょう」
重森のことばに池田がうなずく。
「ならば、あいつが絶対に必要だ」
池田は再び裕一を訪ねた。
池田が描いた「鐘の鳴る丘」は、戦争の悲劇からの復活を真っ向から描くドラマだ。
池田は、裕一の曲は人の心を勇気づける、主題歌を書けるのは裕一しかいないと説得する。
頑なに断る裕一は、池田は、苦しんでいる子どもたちを励ましてほしいと、自分が書いた主題歌の歌詞を残して帰っていった。
歌詞を読んだ裕一の頭に、一瞬メロディーが流れ、はっとする。
音が、「鐘の鳴る丘」の台本を読んでいる。
感動で目を潤ませる音に、裕一は言った。
「苦しいけど、やってみる。書いてみるよ。この歌詞を読んだとき、一瞬だけメロディーが鳴ったんだ」
よみがえる戦争の記憶と闘いながら、裕一は震える手で五線紙に音符を刻んだ。
書斎にこもって幾日かが過ぎた朝、音は、裕一が突っ伏して眠る机の上に譜面があり、曲が出来上がっていることに気づいた。
ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、昭和二十二(1947)年七月に放送が始まった。
戦争で傷ついた人々の心を励まし、勇気づけ、大ヒットドラマとなった。
裕一は池田の勧めで、映画の主題歌を引き受けた。
原作は、原爆の現実を克明に描いた「長崎の鐘」。
著者は医師の永田武(吉岡秀隆)だ。
裕一は、長崎を訪れた。
曲の着想を得るために話を聞きたいと言う裕一に、永田は問いを投げかけた。
原爆で焦土と化した長崎、広島を見て、神は本当にいるのかと問いかけた若者に、永田は
「どん底まで落ちろ」
と答えたという。
その意味が分かるか、と。
その答えを見つけることが曲作りのきっかけになるはずだと言われ、裕一は部屋にこもって何日も考え続けた。
見かねた永田は、妹のユリカ(中村ゆり)に、裕一をある場所へと案内させる。
そこは永田が、原爆投下直後に被爆者の治療に当たった場所だった。
そこで裕一は、「どん底に大地あり」と書かれた紙を目にする。
鐘の音がした。
その音につられて裕一は広場にやって来た。
原爆ですべてを失った人たちが、瓦礫の中から必死に掘り起こした金が焦土と化した街に響き渡ったとき、その鐘の音が生きる勇気を与えてくれたのだとユリカが語る。
「・・・ありがとう。ようやく気づきました」
裕一はそう言うと永田の元に駆けつけた。
「希望・・・ですか?」
永田がうなずく。
なぜ、どうしてと、自分の身を振り返っているうちは希望は持てない。
どん底まで落ちて大地を踏みしめ、共に頑張れる仲間がいて初めて真の希望は生まれるのだと、永田は言った。
「・・・戦争中、あなたは人々を応援しとった。戦争が終わった今、あなたのやるべきことは何ですか?」
「同じです・・・応援する歌を作り続ける!」
裕一は帰りの汽車の中で一気に曲を書き上げた。
裕一のたっての希望で、歌手は捕虜の経験もある山藤太郎になった。
「長崎の鐘」のレコードは大ヒットを記録し、映画と共に、国民に大きな力を与えた。
一方、就職先が見つからない智彦は、闇市のラーメン屋台で働き始めていた。
店主の天野に怒鳴られたり、ひょんなことから知り合った戦災孤児のケンにからかわれたりしながらも、少しずつラーメン作りを思えようとしていた矢先、突然、貿易会社に就職が決まる。
軍人時代の同期の、松川の誘いだった。
ところが、同期がラーメン屋なんて恥ずかしいから助けたのだと言わんばかりの松川のことばを聞いて、智彦は辞表を出す。
人のために命を燃やせるのがあなたの誇りだ。
貿易会社でもラーメン屋でもどちらでもいい。
その生き方ができる選択をしてほしいと、吟に背中を押されたのだ。
一ヶ月後、天野が店を構えたため、屋台は智彦が引き継ぐことになった。
ケンは吟の家に住み込みで、屋台を手伝い始めた。
朝ドラ「エール」第19週91話のあらすじネタバレ
終戦から3か月。
裕一(窪田正孝)は、いまだ曲を作ることができずにいた。
音(二階堂ふみ)はそんな裕一のことを心配しつつ、入院している岩城(吉原光夫)の様子を見に豊橋にやって来る。
ある日、劇作家の池田(北村有起哉)が、自分が書いたラジオドラマの音楽を裕一に担当してもらえないかとお願いしに古山家を訪れる。
華(根本真陽)はいい話だと裕一に受けるよう促すが、裕一の心は動かない。
キャスト
窪田正孝,二階堂ふみ,光石研,薬師丸ひろ子,中村蒼,北村有起哉,仲里依紗,野間口徹,松井玲奈,奥野瑛太,森七菜,岡部大,吉原光夫,根本真陽,持田将史,板垣瑞生,筒井巧
朝ドラ「エール」第19週92話のあらすじネタバレ
吟(松井玲奈)の夫・智彦(奥野瑛太)は復員して就職先を探す日々だったが、元軍人という経歴が邪魔をしてなかなかうまくいかない。
一方、裕一(窪田正孝)の心も相変わらず止まったままだった。
音(二階堂ふみ)は裕一に音楽の楽しさを思い出してもらうために、自分でも何か始めようと、バンブーで紹介された歌の先生のレッスンを受けることにする。
レッスン中、現れた先生の友人は、懐かしいあの人だった!
キャスト
窪田正孝,二階堂ふみ,仲里依紗,野間口徹,松井玲奈,奥野瑛太,北村有起哉,古川雄大,広岡由里子,持田将史,板垣瑞生,古川琴音,浅川大治,チャールズ・グラバー,金森規郎,山形啓将,市村亮,ほか
朝ドラ「エール」第19週93話のあらすじネタバレ
劇作家の池田(北村有起哉)が裕一(窪田正孝)に、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の音楽を依頼しにやって来る。
裕一は、戦争中に自分がした事に責任があるといって断ろうとするが、戦争の悲劇から復活を真っ向から描くこのドラマの音楽は、裕一にしか書けないと池田は説得する。
苦しんでいる子供たちを励ましてほしいと言って池田が置いて帰った主題歌の歌詞を見て、その力強さに裕一は心動かされる・・・。
キャスト
窪田正孝,二階堂ふみ,菊池桃子,森山直太朗,堀内敬子
朝ドラ「エール」第19週94話のあらすじネタバレ
ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の音楽を無事書き上げた裕一(窪田正孝)に、池田(北村有起哉)は映画「長崎の鐘」の主題歌を作らないかと声をかける。
原爆の現実を克明に描いたこの作品と向き合うことで以前のような恐怖がぶり返さないか、音(二階堂ふみ)は裕一の事を心配するが、裕一は前に一歩進むために自ら進んでこの依頼を受ける。
裕一は原作者の永田医師(吉岡秀隆)に会うために、長崎に向かう。
キャスト
窪田正孝,二階堂ふみ,吉岡秀隆,松井玲奈,奥野瑛太,北村有起哉,古川琴音,板垣瑞生,浅川大治,中村ゆり,山中崇,木原勝利,宮岸泰成,斎藤汰鷹
朝ドラ「エール」第19週95話のあらすじネタバレ
映画「長崎の鐘」の主題歌制作のために、長崎を訪れている裕一(窪田正孝)は、原爆投下直後に永田医師(吉岡秀隆)が患者を治療した現場を見たり、永田の妹・ユリカ(中村ゆり)から当時の話を聞いたりして、永田が書いた「どん底に大地あり」の真意に近づこうと思いを巡らす。
そして裕一はある答えを見つけて一気に曲を書きあげるのだった。
そして、「長崎の鐘」を山藤太郎(柿澤勇人)に歌ってほしいと訪ねる。
キャスト
窪田正孝,二階堂ふみ,薬師丸ひろ子,吉岡秀隆,山崎育三郎,柿澤勇人,松井玲奈,奥野瑛太,古川琴音,浅川大治,中村ゆり,山中崇,木原勝利
「鐘の鳴る丘」について
「鐘の鳴る丘」は、1947年(昭和22年)7月5日から1950年(昭和25年)12月29日までNHKラジオで放送されたラジオドラマ、またそれを原作とした映画もあります。
菊田一夫作。
ラジオドラマの放送回数は790回に及んでいます。
1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)には松竹で映画化もされています。
「鐘の鳴る丘」とは、その共同生活の施設が丘の上にあり、とがった屋根の時計台に鐘を備えているというドラマの設定による。
空襲により家も親も失った戦災孤児たちが街にあふれていた時代、復員してきた主人公が孤児たちと知り合い、やがて信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描く。
日本全体が苦しかった時代、大人子供を問わず多くの人の共感を呼び、大ヒットとなった。
主題歌「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、歌:川田正子、ゆりかご会)も広く歌われ、1948年(昭和23年)の選抜高校野球の入場行進曲にもなった。
歌の題名は「とんがり帽子」だが、ドラマの名前から「鐘の鳴る丘」と呼ばれることも多い。
また「とんがり帽子」は古関の母校である福島県立福島商業高等学校の応援歌の一つとして使用されている。
ラジオドラマ
1947年(昭和22年)7月から1950年(昭和25年)12月までNHKラジオ[2]で放送。
初年は毎週土曜日と日曜日の午後5時15分から15分間の放送だったが、翌年からは月曜日から金曜日の連日放送へと変更した。
戦争から復員してきた青年、加賀美修平(声・小山源喜)が、戦災孤児たちのために、信州に彼らの住める場所を作ってあげようと努める物語。
修平が復員してきたとき、弟の修吉(声・稗田淳)も、両親を失い孤児収容所に入っていた。
その修吉を迎えに来た東京で、修平はたくさんの戦災孤児、親も家も失って街頭で靴磨きなどをして生きている子供たちを目の当たりにして、彼らのために安住の場を作ってあげたいと決意したのだ。
実際、当時の日本には「浮浪児」と呼ばれる戦災孤児が何万人も街頭にいて社会問題と化していた。
そういう社会状況を背景にしたドラマ「鐘の鳴る丘」は、浮浪児たちのかたくなな心をときほぐし、少年の家を建てようとする主人公・修平青年の情熱と、次第に力を合わせてたくましく生きようとする子供たちの姿が多くの聴取者の共感と感動を呼び、主題歌とともに戦後早々の時期を代表する国民的ヒット番組となった。
制作の背景
放送開始のきっかけは、1947年(昭和22年)4月のエドワード・ジョゼフ・フラナガンの来日である。
6月にフラナガンが離日した後に、CIEはNHKに対し、フラナガンの精神を踏まえた戦争孤児救済のためのキャンペーンドラマを制作するように指示した。
脚本担当の菊田、音楽担当の古関、巖金四郎をはじめとするNHK東京放送劇団の面々の出演が決定したが、当時はプロの児童劇団もないため、主役となる子役を決めるのに苦労した。
ところが、当時練馬区に在住していた巖が、東京都の演劇大会で優勝するくらいに演劇活動が盛んであった練馬区立豊玉第二小学校を紹介したことで、その小学校に在籍する10人前後の児童が出演することになった。
当初は土日の週2回の放送だったので、出演者である小学校の児童たちが、教師の引率によって毎週練馬からNHK東京放送会館へ通い、生放送を行っていた。
放送開始後の反響
「もっと回数を増やして」という聴取者からの投書がNHKに殺到したため、1948年(昭和23年)の4月からは週2回から週5回へと放送回数を増やし、児童たちが放送のたびに放送会館へ通うのも不可能になったために、録音放送へと変更した。
CIEはNHKに対して、当時最新であった連続15分の録音を可能とする録音機を提供したが、それはまだNHKが所有していない機材であった。
連日放送により、さらに人気が高まった。
放送番組世論調査(日本放送協会編「ラジオ年鑑」25年度版)によると、90%近い人が「鐘の鳴る丘のラジオ放送を聞いたことがある」と答えている。
1950年(昭和25年)時点でも「今でも毎日聞いている」が25%、「今でもときどき聞いている」が51%という高い数字を示している。
テレビ放送はまだなく、NHKラジオを聴くことが家庭での最大の娯楽だった時代のことだ。
一方で、作品には「ぶっ殺してやる」 「ばかやろう」といったセリフが多くあったために、一部の保護者や教育者からは「言葉づかいがひどすぎる」「教育上許せない番組だ」と評され、教育論争も起こった。
しかし、幼少時に肉親に捨てられた過去を持つ菊田は、自分もそのような過去を持つからこそ「人生のすみっこで、だれからも話しかけてもらえないような子どもたち」に語りかけられるのだと、批判にも動じることはなかった。
「長崎の鐘」について
「長崎の鐘」は、永井隆が執筆した随筆。
内容は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。
被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いている。
永井は、この時妻を亡くした。
また、救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの努力により一命を取り留める。
「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。
作品は1946年(昭和21年)8月には書き上げられていたが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の検閲によりすぐには出版の許可が下りなかった。
精神科医の式場隆三郎が創刊に関った『東京タイムズ』に「原爆病患者の手記」の連載を始めると大いに話題になり、1948年、永井隆の『生命の河』がやはり式場隆三郎の経営する日比谷出版社から出版された。
「長崎の鐘」は、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年(昭和24年)1月、同じく日比谷出版社から出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。
永井自身は、「なかなか出版してくれる出版社がなく、式場隆三郎氏などの尽力により出版にこぎつけた」と本書序文に書いている。
同年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲で同書をモチーフとした歌謡曲が発売されて大ヒットし、翌1950年(昭和25年)には松竹により映画化された。
藤山一郎の曲
藤山一郎の楽曲。
作詞・サトウハチロー、作曲・古関裕而。1949年(昭和24年)7月1日にコロムビアレコードからシングルレコードが発売された。
「長崎の鐘」の概要
藤山は1951年(昭和26年)1月3日放送のNHK『第1回NHK紅白歌合戦』で本曲を歌唱し、白組トリおよび大トリを務めた。
紅白ではその後も1964年(昭和39年)・第15回、1973年(昭和48年)・第24回(特別出演)、1979年(昭和54年)・第30回(特別出演、メドレーの2曲目で歌唱)の3回歌唱された。
「長崎の鐘」の吹き込みは最初、池真理子で行おうとレコード会社は考えていたが、歌詞を見た池は「「長崎の鐘」は永井隆博士のご心境を歌ったものであるから、男の人が歌うべき」と思い、尊敬していた藤山一郎による吹き込みを切望し、会社側を説得した。
自身は母の気持ちを歌ったB面「いとし吾が子」を吹き込んだ。
ヒットの要因
サトウハチローの詞には、原爆を直接描写した部分は全くない(当時の米軍の検閲をはばかったものと思われる)。
単に長崎だけではなく、戦災を受けた全ての受難者に対する鎮魂歌であり、打ちひしがれた人々のために再起を願った詞である。
古関裕而が作曲し、藤山一郎が優秀な音楽技術で格調高く美しく歌い上げた。
なお、サトウの弟も広島の原爆の犠牲者となっている。
レコーディングには逸話が残っている。
1949年4月4日のレコーディング当日、藤山は国内のスケジュールの疲労から体調を崩し40度近い高熱を出し苦しみ、吹き込みは後日ということになったが、式場隆三郎や山下清ら関係者がすでにコロムビアのスタジオに来ているということを聞き、妻の運転する車でスタジオに向かった。
録音は再吹き込みするという条件のもとで行われたが、藤山の絶唱がスタッフ・関係者一同の感動を呼び、再吹き込みを経ることなくそのまま発売された。
新しき朝
本作を聴いて感動した永井は、「新しき朝」と題する短歌を詠み、古関・サトウ・藤山に贈った。
古関はこれにも曲をつけているが、この曲はソプラノ歌手藍川由美のアルバムCD『古関裕而歌曲集』(1996年)に収録されたのが初録音である。
同アルバムには「長崎の鐘」も収録されている。
藤山は自分の作曲による「新しき朝」を、「長崎の鐘」に続けてステージで歌っていた。
藤原義江の曲
藤山一郎版のシングル発売の2か月後、永井一家と交流のあった植本一雄の作詞・作曲による藤原義江の歌謡曲が、同タイトルで発表されている。
朝ドラ「エール」第19週の主なキャスト
裕一への“一日だけ”の召集令状。
複雑な思いが募ります。#朝ドラエール#窪田正孝#二階堂ふみ#正名僕蔵 pic.twitter.com/iW1qk4xHPF
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) October 4, 2020
古山裕一 演:窪田正孝
※子ども時代:石田星空
モデル:古関裕而(こせき・ゆうじ)
福島で代々続く老舗呉服屋の長男。
気弱でいじめられがちな少年だったが、音楽に出会うとその秘めた才能を発揮し、独学で作曲を始める。
跡取り息子として周囲の期待から商業を学び、伯父が経営する銀行に勤めるが、音楽への思いを断ち切れないでいた。
そんな中、歌手を目指しているという女学生・関内 音とひょんなことから知り合い、文通を始める。
恋に落ちた裕一はついには、彼女とともに音楽の道を歩むことを決める。
朝ドラ「エール」のモデル古関裕而の留学話は本当?息子から見る古関裕而とは
関内音 演:二階堂ふみ
※子ども時代:清水香帆
モデル:古関金子(こせき・きんこ)
豊橋市内で馬具の製造販売を行う関内家の三姉妹、次女の音は、将来はプロの歌手として舞台に立つことを夢見ていた。
ある日、福島に住む青年の古山裕一が英国の作曲コンクールに入賞したことを新聞で知り、手紙を送り文通を始める。
二人は結婚し、音は本格的に歌を学ぶために音楽大学に入学。
夫の才能を誰よりも信じて叱咤(しった)激励し、時代の流れのなかでさまざまな困難に遭遇しながら、自らも歌手になる夢を追い続ける。
古山華 演:古川琴音
裕一と音の娘。
やりたいことがなかなか見つからず、将来について思い悩んでいる。
田ノ上五郎 演:岡部大
裕一に弟子入りを懇願する茨城なまりの青年。
関内梅 演:森七菜
※子供時代:新津ちせ
音の妹。
文学全般が好き。小説家になることを夢見ている。
永田武 演:吉岡秀隆
モデル:永井隆
長崎の医師。原爆投下直後の長崎で被爆者の治療を行う。
著書「長崎の鐘」がきっかけとなり裕一と出会う。
池田二郎 演:北村有起哉
モデル:菊田一夫
劇作家、作詞家。
戦後、裕一とともに数々のラジオドラマや映画、舞台でヒット作を生み出していく。
永田ユリカ 演:中村ゆり
永田医師の妹。
兄の武を助けながら、原爆で荒廃した長崎の復興に尽力している。
関内吟 演:松井玲奈
責任感※子供時代:本間叶愛
音の姉。
おしゃれ好き。素敵な男性に巡り合って結婚したいと思っている。
岩城新平 演:吉原光夫
関内家が営む馬具店の職人頭。
見た目は強面であるが、職人としての腕は折り紙つき。
御手洗潔 演:古川雄大
音の歌の先生。
ドイツに音楽留学した経験がある。
その他キャスト
・広岡由里子
・持田将史
・板垣瑞生
・浅川大治
・チャールズ・グラバー
・金森規郎
・山形啓将
・市村亮
・ほか
【第20週のネタバレはこちら】
朝ドラ「エール」第20週あらすじネタバレ!久志の苦悩と再起「栄冠は君に輝く」
【第18週のネタバレはこちら】
朝ドラ「エール」第18週あらすじネタバレ!「戦場の歌」藤堂先生の死
【こちらの記事もチェック!】
朝ドラ「エール」のモデル古関裕而の留学話は本当?息子から見る古関裕而とは
「福島三羽烏」のモデルネタバレ!村野鉄男(野村俊夫)佐藤久志(伊藤久男)古山裕一(古関裕而)
【その他朝ドラネタバレ一覧】