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朝ドラ「エール」の大きな見所の一つでもある「福島三羽烏」のモデルやネタバレなどをしていきたいと思います。
「福島三羽ガラス」は窪田正孝さん演じる古山裕一(古関裕而)。
そして古山裕一と幼馴染の中村蒼さん演じる村野鉄男(野村俊夫)、山崎育三郎さん演じる佐藤久志(伊藤久男)の三人のことです。
実際にこの三人がどのような楽曲を残しているのか、三人それぞれの詳細とあわせて紹介していきたいと思います。
※福島三羽ガラスは第15週の72話から動き始めます!
朝ドラ「エール」第15週72話あらすじネタバレ!福島三羽ガラスが遂に始動!
朝ドラ「エール」第15週72話あらすじネタバレ!福島三羽ガラスが遂に始動!
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「福島三羽烏」村野鉄男のモデルの野村俊夫
野村俊夫(のむら としお)は1904年11月21日福島県福島市大町の生まれ。
近所には作曲家の古関裕而(古山裕一)が住んでおり、子供の頃はともに遊んだ仲でした。
1924年、20歳の時に福島民友新聞社に入社し、編集部・報道部・文芸欄を担当する。
1931年で福島民友新聞社を退社、すでにコロムビア専属作曲家として上京していた古関裕而のすすめで上京する。
同年に古関裕而と組んだ初のレコード「福島行進曲」が発売されています。
この頃からフリーの作詞家として本格的に活動を開始する。
1939年、藤山一郎コロムビア復帰第1作目であった「上海夜曲」のヒットにより、コロムビア専属作詞家となる。
1951年頃からは日本音楽著作権協会の理事も務めていました。
また、たいへんな酒豪だったそうです。
古関裕而と野村俊夫で手掛けた作品
・1931年「福島行進曲」(作曲:古関裕而、歌:天野喜久代)
・1940年「暁に祈る」(作曲:古関裕而、歌:伊藤久男)
・1948年「若き日のエレジー」(作曲:古関裕而、歌:伊藤久男)
・1950年「薔薇と蜜蜂」(作曲:古関裕而、歌:二葉あき子)
・1952年「夜船の灯り」(作曲:古関裕而、歌:久保幸江)
・1953年「岬の灯り」(作曲:古関裕而、歌:伊藤久男)
・1956年「メコンの舟歌」(作曲:古関裕而、歌:伊藤久男)
・1960年「スカイラインの歌(補作)」(作曲:古関裕而、歌:守屋浩)
・1964年「故郷はいつも瞼に」(作曲:古関裕而、歌:不明)
「福島三羽烏」佐藤久志のモデルの伊藤久男
伊藤久男(いとう ひさお)は、1910年(明治43年)7月7日生まれで、生家は福島県安達郡本宮町(現本宮市)の旧家。
※本名は伊藤 四三男(いとう しさお)。
父親は立憲政友会所属で県会議員を務めた伊藤彌、兄は福島県議会議員を経て戦後に自由民主党所属の衆議院議員を務める伊藤幟です。
たいへん裕福な家庭で、当時はまだ珍しかったピアノに没頭し、中学(旧制)の頃にはピアニストを志望するようになります。
家族や親族の反対を押し切り単身上京、音楽を生業とすることに反対していた家族へのカモフラージュのため東京農業大学に入学。
その後、同郷の新進作曲家・古関裕而と懇意になり、家族には知らせず農大を退学、帝国音楽学校に進む。
同校では同郷の声楽家平間文寿に師事します。
その後、農大を退学したことが家族に知られ毎月の仕送りが止まり、音楽学校の同級生とともにコロムビア吹き込み所で合いの手や囃子の吹き込みのアルバイトを始める。
ピアニスト志望だった四三男としては不本意だったが、これが後に作曲家やディレクターたちの耳に止まることになります。
1932年(昭和7年)、古関裕而の勧めにより、1933年(昭和8年)6月25日付で「伊藤久男」名義でリーガル(コロムビアの廉価レーベル)から「今宵の雨」でデビュー。
コロムビアからのデビューは同年9月の「ニセコスキー小唄」で、宮本一夫の名前で発売。
出身地本宮をひっくり返した芸名でした。
その間、アルバイトとしてタイヘイレコードにて内海四郎名義でレコーディング。
その後、コロムビアでは伊藤久男、リーガルでは宮本一夫を使用していたが、1935年(昭和10年)「別れ来て」の発売を機に芸名を伊藤久男に統一。
古関裕而(窪田正孝)と伊藤久男
伊藤は同郷の作曲家・古関裕而の作品を多くレコーディングしています。
「露営の歌」「続露営の歌」「暁に祈る」「海底万里」といった戦時歌謡から、「イヨマンテの夜」「君いとしき人よ」といった歌謡曲、また、現在でも夏の高校野球全国大会で歌われている「栄冠は君に輝く」までも伊藤の創唱によるものです。
NHK紅白歌合戦にも計11回出場しています。
古関裕而のクラシックの格調は、美しいテナーの音色で歌う藤山一郎に代表されるが、古関メロディーのドラマティックな抒情性は伊藤久男のリリックな歌唱によって声価を高めた。
伊藤の人柄と病魔に悩まされた晩年
性格はまさに豪放磊落。
酒をこよなく愛し、誰からも「チャーさん」の愛称で慕われていました。
一方で、異常なまでの潔癖症で、常にアルコールを含ませた脱脂綿を消毒のために持ち歩き、また、閉所恐怖症のためエレベーターには乗らなかったといわれています。
日本歌手協会の設立にも尽力し、後進の指導にも力を惜しまなかったが、晩年は酒豪が祟り糖尿病のためインスリンの注射に依存。
昭和50年以降には、注射による低血糖発作で震えながらステージを務め、痛々しいものがありました。
妻は元宝塚歌劇団娘役で宝塚歌劇団21期生の桃園ゆみか(本名:伊藤あさの、旧姓:西山)。
NHKの歌番組ステージ101に出演していた歌手伊藤三礼子は長女。
また、弟で次男の悟も出演していた(後に「伊藤さとる」名義で1980年頃、郷ひろみのバックコーラスを担当したといわれる)。
1978年(昭和53年)に紫綬褒章受章、1982年(昭和57年)には第24回日本レコード大賞特別賞を受けます。
(この受賞の際中継で顔出し出演していたが、伊藤が公の場に姿を見せるのは、これが生涯最後となりました)
翌1983年4月、肺水腫のため死去、享年72。勲四等旭日小綬章受勲。
古関裕而と伊藤久男が組んだ楽曲
・1937年「露営の歌」(作詞:薮内喜一郎、作曲:古関裕而)共唱:中野忠晴、松平晃、霧島昇、佐々木章
・1937年「弾雨を衝いて」(作詞:高橋掬太郎、作曲:古関裕而)
・1940年「暁に祈る」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而)
・1941年「海の進軍」(作詞:海老名正男、作曲:古関裕而)共唱:藤山一郎、二葉あき子
・1947年「夜更けの街」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
・1948年「若き日のエレジー」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而)
・1949年「栄冠は君に輝く(全国高校野球大会歌)」(作詞:加賀大介、作曲:古関裕而)
・1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
・1950年「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」(作詞:小島清、作曲:古関裕而)
・1951年「恋を呼ぶ歌」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
・1953年「ひめゆりの塔」(作詞:西條八十、作曲:古関裕而)
・1953年「岬の灯り」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而)
・1953年「君、いとしき人よ」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
・1954年「数寄屋橋エレジー」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
・1954年「チャンドラムの夜」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
・1954年「花のいのちを」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、共唱:奈良光枝)
・1954年「忘れ得ぬ人」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)
・1954年「福島音頭」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而、共唱:神楽坂はん子)
・1954年「百万石音頭」(作詞:丘十四夫、作曲:古関裕而、共唱:永田とよこ)
・1954年「サロマ湖の歌」(作詞:中山正男、作曲:古関裕而)
・1956年「メコンの舟唄」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而)
「福島三羽烏」古山裕一のモデルの古関裕而
古関裕而は1909年(明治42年)8月11日に福島で生まれ、旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に通いながら仙台に通い、金須嘉之進に師事して、1929年、チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選、日本人として初めて国際的コンクールの入選履歴を得た作曲家です。
福島県福島市大町にあった呉服店「喜多三(きたさん)」に生まれる。
父親が音楽好きで、大正時代ではまだ珍しかった蓄音機を購入し、いつもレコードをかけていました。
古関は幼少の頃から音楽の中で育ち、ほとんど独学で作曲の道を志していく。
同じ大町の近所に鈴木喜八という5歳年上の少年がおり、のちに野村俊夫(作詞家)となって古関とともに数々の曲を世に送り出すこととなります。
1916年(大正5年)、古関は7歳のときに福島県師範学校附属小学校へ入学した。
担任の遠藤喜美治が音楽好きで、音楽の指導に力を入れていました。
古関は10歳の頃には楽譜が読めるようになり、授業だけでは物足りなくなり、市販の妹尾楽譜などを買い求めるようになった。
ますます作曲に夢中になり、次第にクラスメイトが詩を持って古関に作曲を依頼してくるようになります。
こうして子供の頃から作曲に親しむこととなりました。
古関裕而の青少年期
1922年(大正11年)、音楽家の多い旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学。
商業学校に入ったのは家業を継ぐためであったが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中だったそうです。
妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学での作曲法の勉強を続けていた。
ある時、年に2回行われていた校内弁論大会にハーモニカで音楽をつけることになり、古関が書き溜めていた曲を合奏用に編曲して大勢で演奏することになりました。
初めて自分の作品が披露された出来事です。また、在学中に家業の呉服店が倒産しました。
学校を卒業する頃、福島ハーモニカーソサエティーに入団します。
当時、日本でも有数のハーモニカバンドでした。
古関は作曲・編曲・指揮を担当し、地元の音楽仲間が主宰していた「火の鳥の会」が近代音楽家のレコードコンサートを開いていた。
ここで初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い、衝撃を受ける。
傾倒したのは、リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』とストラヴィンスキーの『火の鳥』、ドビュッシー、ムソルグスキーなどである。このレコードコンサートには頻繁に通っていたそうです。
卒業後、川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に勤務します。
この頃、学生時代から憧れていた山田耕筰の事務所へ楽譜を郵送し、何度か手紙のやり取りを行っている。
古関は、当時発行される山田の楽譜はほとんど空で覚えていたという。
福島ハーモニカーソサエティーとともに仙台中央放送局(現NHK仙台放送局)の記念番組に出演する。
この頃、リムスキー=コルサコフの弟子で仙台に在住していた金須嘉之進に師事することになった。
金須は正教徒で、正教の聖歌を学ぶため革命前のペテルブルクの聖歌学校に留学し、そのときリムスキー=コルサコフから管弦楽法を学んでいた。
結婚・そしてコロムビア専属の作曲家へ
1929年(昭和4年)、管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、入賞を果たします。
ほとんど知られていないが、これは日本人初の国際的作曲コンクールにおける入賞であり、当時の新聞でも大々的に報道されていました。
『竹取物語』は、色彩的で斬新なオーケストレーションがなされており、また、打楽器のみで演奏される楽章なども含まれていたといわれる。
この入賞の報道を読んだ声楽家志望の愛知県豊橋市在住の内山金子(きんこ)が古関にファンレターを送り、熱烈な文通を経て1930年、古関20歳、金子18歳でスピード結婚。
古関はたいへんな愛妻家で、晩年までおしどり夫婦だったそうです。
※内山金子(きんこ)は、朝ドラ「エール」の中では、関内音(せきうち おと)として二階堂ふみさんが演じています。
この頃、古関は複数の交響曲やピアノ協奏曲、交響詩『ダイナミック・モーター』、弦楽四重奏曲など、膨大な作品群を完成させていたが、それらの楽譜は現在ほとんど行方不明になっています。
『竹取物語』の所在も知れないそうです。
同年9月、コロムビアの顧問山田耕筰の推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京しました。
東京では菅原明朗に師事しました。
菅原は『竹取物語』のスコアを読んで驚き、古関には深井史郎よりも才能があったと、後年まで称賛しています。
師と仰いだ菅原明朗のほかに、橋本國彦とも親交が厚かった。
しかし、古関は、実家が経済的に破綻してからは一族を養わなくてはならず、次第にクラシックの作曲から離れざるをえなくなりました。
コロムビア入社も主に生活費のためであったと考えられる。
古関本人は作曲の勉強のための洋行を希望していましたが、それは叶いませんでした。
東京に移ってからのオーケストラ作品に、関東大震災を描いた交響詩『大地の反逆』があります。
これはストラヴィンスキー的な音楽であるといわれています。
また、無調的な歌曲『海を呼ぶ』なども作曲しています。
1935年(昭和10年)、古関が26歳の頃、新民謡調の「船頭可愛や」(詩:高橋掬太郎、唄:音丸)が大ヒットし、人気作曲家の仲間入りを果たします。
この歌は世界の舞台でも活躍した三浦環もレコードに吹き込みました。
この頃、声楽家志望だった妻の金子は帝国音楽学校へすすんでいました。
また同時期に同郷の伊藤久男と交流を持ち、伊藤久男も帝国音楽学校へ入学することになりました。
「福島三羽烏」の楽曲は?
「福島三羽烏」の楽曲は以下の通りです。
・1940年「暁に祈る」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而)
・1948年「若き日のエレジー」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而)
・1953年「岬の灯り」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而)
・1954年「福島音頭」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而、共唱:神楽坂はん子)
・1956年「メコンの舟唄」(作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而)
などがあります。
これが朝ドラ「エール」の中でどれだけ描かれるか・・・そこも気になるところですよね!
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