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「純情きらり」杉冬吾(西島秀俊)のモデルは太宰治で原作者の父!

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「純情きらり」杉冬吾(西島秀俊)のモデルは太宰治で原作者の父!

再放送が開始された2006年に放送された朝ドラ「純情きらり」。

このドラマのモデルは津島佑子さんの小説「火の山―山猿記」なのですが、そんな原作の中でも、登場人物にモデルがいる場合があります。

原作の中でもモデルが居る登場人物というのが、西島秀俊さんが演じる杉冬吾です。

この杉冬吾はマロニエ荘の住人で、津軽出身の青年画家。

同じ芸術仲間である桜子に大きな影響を与え、兄のように慕われる人物です。

この杉冬吾のモデルとなっているのが、あの有名な太宰治さんです。

映画で小栗旬さんが太宰治を演じたりなど、色々と語られている太宰治。

ではこの太宰治とはどのような人物だったのでしょうか。

ご紹介していきたいと思います。

太宰治の女と自殺未遂

太宰治は青森県北津軽郡金木村(のちの金木町、現在の五所川原市)に、県下有数の大地主である父津島源右衛門と母たね(夕子)の六男として生まれました。

本名は津島修治(つしましゅうじ)。

両親にいる11人の子女のうちの10番目。

父・源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員などをつとめた地元の名士で、津島家は「金木の殿様」とも呼ばれていた。

父は仕事で多忙な日々を送り、母は病弱だったため、生まれてすぐ乳母に育てられました。

一度目の自殺未遂

1929年(昭和4年)、弘高で起きた同盟休校事件をモデルに『学生群』を執筆、改造社の懸賞小説に応募するが落選。

12月10日未明にカルモチン自殺を図り、母たねの付き添いで大鰐温泉で1月7日まで静養しました。

太宰治は、この最初の自殺未遂の理由を『苦悩の年鑑』の中で「私は賤民ではなかった。ギロチンにかかる役のほうであった。」と自分の身分と思想の違いとして書いていますが、1月16日から特高によって弘高の左翼学生が相次いで逮捕される事件が起きており、津島家から事前に情報を得た太宰が逮捕を逃れるために自殺未遂をしたのではという見方もあるのだとか・・・。

そして、1930年(昭和5年)10月、以前知り合った芸者の小山初代が太宰の手引きで置屋を出て上京。

津島家は芸者との結婚に強く反対、11月に長兄の文治が上京して説得するが、太宰は初代と結婚すると主張。

文治は津島家との分家除籍を条件に結婚を認める。

二度目の自殺未遂

除籍になった10日後の11月28日、銀座のバー「ホリウッド」の女給で18歳の田部シメ子と鎌倉・腰越の海にてカルモチンで自殺を図る。

だがシメ子だけ死亡し太宰は生き残る。

この事件について太宰は『東京八景』『人間失格』などで入水自殺と書いているが、当時の新聞記事では催眠剤を飲み海岸で倒れているところを発見されたと報道されています。

自殺幇助罪に問われるが、文治らの働きかけで起訴猶予処分となりました。

南津軽郡の碇ヶ関温泉郷の柴田旅館で、初代と仮祝言をあげるが、入籍はしなかったそうです。

年明け2月、初代が上京し、新婚生活が始まる。

三度目の自殺未遂

そして1935年(昭和10年)、『逆行』を『文藝』2月号に発表。

大学5年目になっていた太宰は、卒業できず仕送りを打ち切られることを考え、都新聞社(現・東京新聞)の入社試験を受けるが不合格。

3月18日、鎌倉で首吊り自殺を図ります。

4月、腹膜炎の手術を受ける。

入院中に鎮痛剤パビナールの注射を受け、以後依存症となってしまう。

学費未納のため9月30日付で大学を除籍となった。

それからパビナール依存がひどくなり、多い時には1日50本を注射。

初代の着物を質に入れ、知人に借金をして歩いた。

初代が井伏鱒二に泣きつき、文治に頼まれた津島家出入りの商人の中畑慶吉と北芳四郎が、10月13日に東京武蔵野病院に強制入院させる。

四度目の自殺未遂

11月12日に退院するが、翌1937年(昭和12年)、津島家の親類の画学生小館善四郎が初代との不貞行為を告白。

3月下旬、水上温泉で初代とカルモチン自殺未遂。6月には初代と離別した。

太宰治の結婚

1938年(昭和13年)、井伏鱒二の紹介で山梨県甲府市出身の地質学者・石原初太郎の四女の石原美知子と見合い。

このとき、太宰は媒酌人を渋る井伏に対して「結婚誓約書」という文書を提出した。

その中でこれまでの乱れた生活を反省、家庭を守る決意をして「再び破婚を繰り返した時には私を完全の狂人として棄てて下さい」と書いている。

翌年1月8日、井伏の自宅で結婚式を挙げる。

1941年(昭和16年)、太田静子に会い、日記を書くことを勧める。

太田静子との間に子供が産まれる

1947年(昭和22年)2月、神奈川県下曾我で太田静子と再会、日記を借りる。

3月27日、美容師の山崎富栄と知り合う。

没落華族を描いた長編小説『斜陽』を『新潮』に連載。

12月15日、単行本として出版されるとベストセラーになり、斜陽族が流行語となるなど流行作家となる。

『斜陽』の完成と前後して、登場人物のモデルとなった歌人太田静子との間に娘の太田治子が生まれ、太宰は認知した。

太宰治のもう一人の女・山崎富栄

10月ごろ、新潮社の野原一夫は太宰が富栄の部屋で大量に喀血しているのを目撃しているが、富栄は慣れた様子で手当てをしていたという。

1948年(昭和23年)、『人間失格』『桜桃』などを書きあげる。

富栄は手際が良く、「スタコラさっちゃん」と呼ばれ、太宰の愛人兼秘書のような存在になっていた。

美容師をやめ、20万円ほどあった貯金も太宰の遊興費に使い果たした。

部屋に青酸カリを隠していると脅し、6月7日以降、太宰は富栄の部屋に軟禁状態になった。

1948年(昭和23年)6月13日、玉川上水で愛人の山崎富栄と入水し、太宰治はこの世を去った。

2人の遺体は6日後の6月19日、奇しくも太宰の誕生日に発見され、この日は彼が死の直前に書いた短編「桜桃」にちなみ、太宰と同郷で生前交流のあった今官一により「桜桃忌」と名付けられた。

この事件は当時から様々な憶測を生み、富栄による無理心中説、狂言心中失敗説などが唱えられていた。

津島家に出入りしていた呉服商の中畑慶吉は三鷹警察署の刑事に入水の現場を案内され、下駄を思い切り突っ張った跡があったこと、手をついて滑り落ちるのを止めようとした跡も歴然と残っていたと述べ、

「一週間もたち、雨も降っているというのに歴然とした痕跡が残っているのですから、よほど強く"イヤイヤ"をしたのではないでしょうか」

「太宰は『死にましょう』といわれて、簡単に『よかろう』と承諾したけれども、死の直前において突然、生への執着が胸を横切ったのではないでしょうか」

と推測しているそうです。

中畑は三鷹警察署の署長から意見を求められ「私には純然たる自殺とは思えぬ」と確信をもって答えた。

すると署長も「自殺、つまり心中ということを発表してしまった現在、いまさらとやかく言っても仕方がないが、実は警察としても(自殺とするには)腑に落ちぬ点もあるのです」と発言したそうです。

杉冬吾(西島秀俊)のモデルは本当に太宰治?

太宰治の何故か自殺未遂を繰り返し、女にもだらしない人生を振り返ると、何故にこの太宰治が杉冬吾(西島秀俊)のモデルになっているのか不明です。

この謎はどうやら、朝ドラ「純情きらり」の原作の「火の山―山猿記」と、「純情きらり」では人柄が大幅に異なっているのです。

原作の「火の山―山猿記」では、杉冬吾は厄介な性格悲観主義で、太宰治に似た人物像になっています。

朝ドラ「純情きらり」での杉冬吾は、自分の生活習慣に無頓着なため、金銭感覚に欠けているなど、しばしばたびたび騒動を巻き起こします。

しかし温厚かつ飄々とした性格で、トラブルに遭っても動じないなど落ち着いた態度を見せ、周りから頼りにされている人物です。

多少難はあれど、それを気にさせない人間性・・・というキャラクター設定になっています。

太宰治は何故自殺未遂を繰り返した?

もう、太宰治が何故自殺未遂を繰り返したのかは分かりませんが、一つの可能性として言えるのが、太宰治が愛読していた芥川龍之介が自殺をしたことです。

太宰治は、芥川龍之介の自殺を知り衝撃を受け、弘前の下宿に戻るとしばらく閉じこもっていたと言われています。

しかもその衝撃が、太宰治が18歳頃という多感な時期だったのが重なっていそうですね。

現在再放送されている「純情きらり」で杉冬吾(西島秀俊)を見て、太宰治と重なるところがあるかどうかを楽しむのも良いかもしれませんね!

 
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